カッコよく文学を語る

文学に限らずカッコよく語ることはとても楽しい

この記事は、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語っているという設定です。 一方通行に語りかける形式で書いているので、この文章のまま、あなたも、お友達、後輩、恋人に語っることが出来ます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『桜の樹の下には』梶井基次郎 〜「読んだ方が早い」と、元も子もなく〜

梶井基次郎を語る上でのポイント

①短命が活きている

②簡単に読める

①に関しては、梶井基次郎は病弱であり、31歳の若さで亡くなっている。文筆中は病状が一進一退の状態であったため、多くの作品で死生観が表現されており、そこが読み応えのある部分になっている。

②に関しては、梶井基次郎の作品は比較的短い小説が多いため、読書が苦手な方でも簡単に読める。また、文章も比較的軽めなので読みやすく、ゆえに人に勧めやすい。

 

以下会話例

「え?ああ、そうだね。桜、綺麗だね。僕桜見るたびに思い出すんだけど、梶井基次郎の『桜の樹の下には』っていう小説知ってる?あー知らないか。『檸檬』は知ってる?あ、そうそう。その作家が書いた小説で『桜の樹の下には』っていう話があるんだけどさ。めちゃくちゃ面白いからぜひ読んでほしい。いや、僕がここで話すよりも実際に読んで欲しい。超短編だから3分くらいで読めるよ。めっちゃ短い。わかった、じゃあちょっと話するから後で読んでね。絶対だよ。

 

お話はね、主人公、まあ梶井基次郎本人だと思うんだけど、主人公が、桜の花が、あんなにも見事に咲くことをどうも信じられない、ってところから話は始まるの。桜の花をみると、なんだか頭がおかしくなりそうになっちゃうんだよ。美しすぎてわけわからないって。逆に憂鬱になって、空虚な気持ちになってしまうって。ここで言ってること、まあ分からなくもないよね。この主人公にとっては桜だったけど、例えばさ、好きな人ができてまだ付き合ってなかったり、付き合い始めだったりの時って好きで好きでどうしようもなくなるでしょ?一日中ずっとその人のこと考えて実際にあっても好きすぎて、本当に同じ人間なのか疑って、何を食べたらこんな人になるんだって考えて。そんでもって何をしていいのか分からないみたいな。まあこれは自分の感覚にめちゃくちゃ引き寄せて考えちゃってるけど、それと近いことが、この主人公にも起きてるんだと思うんだよね。桜があんなにも美しく咲いていて、自分の理解を超えてしまっててわけわからない。これには何か秘訣があるに違いない、と。何か他の植物とは違う徹底的な理由がないとこの憂鬱な状態から抜け出せない、みたいな状態になったんだよね。

 

どのくらい美しいかと言うとね、桜の花は満開の状態になると一種の神秘的な雰囲気を巻き散らすんだけど、それはまるで、よく回ったコマが完全な静止になるような状態と同じだって。すごい美しい表現で、めちゃくちゃわかるよね。小さい時コマ回して柄がすうって一色になって、ピターって止まった状態になると、取り憑かれたように凝視してたのを思い出すよ。寄り目になってるんじゃないかなってくらい見てた。とにかく桜の満開の状態って不思議で妖しくて神秘的な美しさがあって、これが自分をおかしくしてる。

 

で、主人公はそこに一つの答えを見つけるの。桜の樹の下には、樹の下には、屍体(したい)が埋まっているんだって。屍体。これは世紀の大発見だよ。火星に生物が存在するのを発見するくらいのもの。桜の樹の下には屍体が埋まっていて、桜はその養分を吸っているからあんなに美しく花開くんだっていうのに気づくんだよね。実はこれ、小説の書き出しで宣言しててね。

 

桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!これは信じていいことなんだよ』っていう書き出しから始まるんだよ。すごいかっかこいいでしょ。正解は屍体でした。僕はこれ読んだ瞬間にこの小説は面白いって確信したのを覚えてる。確かに桜の樹の下に死体埋まってそう!ってなった。

 

そしてね、ここが一番かっこいいところ、というか梶井基次郎が一番言いたいところなんだけどね、どんな風に桜が屍体から養分を吸っているかと言うと、まず、爛漫と咲き乱れる桜の樹の一本一本の下にね、一つ一つ屍体が埋まっているの。その土の中で、馬や猫や人間の屍体がみな腐ってウジが湧いていて、水晶のような液をタラタラと垂らしてる。そして桜は太ったタコのような根っこで屍体を抱きかかえて、イソギンチャクのような毛根をさしてその液体を吸っている。そして、吸い上げた水晶のような液が、維管束の中をずらっと上がっていって、それが桜の花弁を作っているんだって。そう考えると、主人公はやっとこの妖しい美しさに納得いくようになるの。

 

すごい表現だよね。想像させて、それを現実に信じさせる力があるよね。もう、現に頭から離れないでしょ。これからきっと毎年桜を見るたびに、この小説を思い出すよ。

 

そして、主人公は、屍体が埋まってることに気づいたから、心は和んで、安心して桜の花が見れるようになった。もうこれで話は終わり。ね、めちゃくちゃ短いでしょ?本当に簡単に読めて、そしてその簡単さと裏腹にめちゃくちゃ心に残るからぜひ読んで。

 

でも確かに、僕さ、桜綺麗だなとは思うんだけど、別に皆がいうほど綺麗だとは思ってないんだよね。でも日本人って桜の時期になると、ニュースは右に習えで揃って開花時期を予想して、いざ満開になると猫も杓子も狂ったように見に行くでしょ。中目黒なんて今の時期ものすごいよね。絶対に何か妖しい力が働いてるに違いないんだよね。そう思わない?梅でもチューリップでもたんぽぽでもなく、なぜ桜だけこんなに注目されるのか。こんなにも人間の心をゆさぶれる植物はないよ。

梶井基次郎はそこに一つの答えを出してくれてて、それが屍体なんだよね。例えば、次の日試合とか受験とか大切なことがある時に、気合いを入れるためにカツとか好きなものを食べたりするよね。他にも、にんにくとか栄養あるものを食べてると活力が湧いてくるっていうのは普段の生活で体感してるよね。生きてるものは栄養のあるものを頂くことでそのエネルギーを発している。桜も同じだと思うんだよね。桜がこんなにも人を惹きつけて美しく妖しく咲くのは、その食べ物が栄養があるからなんだよ。ついさっきまで心臓を脈打っていた屍体からその養分を頂くことで、らんらんと花を開くことができる。

 

それと同時にね、梶井基次郎の願望も入ってるんじゃないかなって思う。梶井基次郎はずっと病弱で、31歳の若さで亡くなるんだけど、自分の死んだ後のことを想像したんだと思うんだよね。彼は病気で辛い時でも、皆に病人扱いされることを嫌っていて、元気なふりをしてたんだよ。病気を忌み嫌っていた。まだまだ生きていたかったんだろうね。でも、死が刻々と迫ってきているのは自分が一番自覚していた。死んでも生命を輝かせたい。そう願って、もし自分が死んでも養分を桜に吸われて、人の心を魅了できたらどんなにいいんだろう、って思ったんじゃないかな。

 

僕らはまだまだ若くて、死はまだ自分とは関係ないと思ってる。多分僕らが60代になって70代になって80代になって、死を自分の事柄として認識し始めた時にこの小説を読んだら、もっと核心に触れられるんだと思うな。

 

夜になるとまだまだ寒いね。帰ろうか。」