カッコよく文学を語る

文学に限らずカッコよく語ることはとても楽しい

この記事は、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語っているという設定です。 一方通行に語りかける形式で書いているので、この文章のまま、あなたも、お友達、後輩、恋人に語っることが出来ます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

ブログ開設にあたって

 

目的

このブログは、

①本を読みたいとは思っているが、集中力なくてホリエモンのビジネス書すらろくすっぽ読みきれない方

②読んだことにさも似たりの経験をしたい方

に向けたブログです。

 

効能

このブログの記事を読むことで、

①読むのに数時間かかる小説を2分で読んだ気になれる

②文学青年風に友人・後輩・恋人に本を語れる

③「趣味は読書です」と言える

④実際に本が読みたくなる

という効能が得られます。

 

独自性

小説の内容をまとめたブログやサイト 、書籍はたくさんありますが、その小説の要約や個人の感想・解釈を述べたものが主です。

そのためそのブログの文章を読んでも本の概要は掴めるが、やはり実際に本を読んでみないと底には落ちてきません。

このブログでは「その本を読んだことない人に対して、内容を伝える」口調で書いていくため、ストーリーに沿って語られていきます。要約ではなく”切り取り”をしています。

その本を読んで適当に切り取った断面を見せているので、全体を大まかに掴む感覚ではなく、数ページではありますが、本そのものを読んだ気になれます。

ブログでの語り口調をそのまま友人・後輩・恋人に伝えて頂くことができます。

さも読んだことに似たりです。

 

動機

このブログを書く理由として

①僕がこんなブログ読みたかった

②”本を語る”ことの面白さを共有したい

があります。

 

まずは30記事を目標に書いていきます。よろしくお願いします。

『芋粥』芥川龍之介 「これ分かるよね」と、人生経験豊富に

芋粥芥川龍之介

 

芥川龍之介を語る上でのポイント

①『芥川』と呼ぶ

芥川賞直木賞の違いを語る

③完璧な文章だと賞賛する

の3点です。

 

①に関して、通の人がモノの名称を省略するのはどの分野でも適用されます。文学でもしかり。「芥川」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関しては、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学に贈られる賞です。それ以上は僕もわかりません。調べてください。

③に関しては、芥川はその性格上完璧を求めるが故に、短文が多いです。僕個人短くて凝ってる文章が好きなので、まさに芥川の文章は僕の理想です。

 

以下会話例

「ここのケーキ美味しいね。あ、そういえば今年も芥川賞決まったね。いやまだ読んでない、読まなきゃね。あ〜芥川か。でも羅生門って小学生の時国語でやらなかった?そうだよね。他か。そうだな色々あるけど、『芋粥』はどうかな。短いから読みやすいよ。試しに読んでみれば。え〜じゃあ掻い摘んで話すね。

 

芥川龍之介はたくさん作品残しているけど、ほとんど短い文なんだよ。芥川は完璧主義者らしくて、自分が世に出す作品は全て完璧なものじゃないと許せなかったんだよね。長文になるとどうしても推敲を重ねることが難しくなってくる。だからほとんどが短い文章でまとまっていて、読んでみると分かるけど、確かに綺麗で完結に表現されているんだよね。これは芋粥もしかり。

芋粥は芥川が24歳の時に書いた作品で、テーマは「願望」なんだよね。理想、欲望、願い。何かを望む気持ち、果たしてこれは何なのかっていうことをずっと語っている小説なんだよね。

 

主人公は、平安時代に摂政の藤原氏に仕える1人のおじさん。今でいうと、政治家の周りにいるお手伝いさんみたいなものかな。どういうおじさんかって言うとね、もうほんとしょうもない人なんだよ。もうどうしようもない。いつも鼻水垂らしていて鼻赤くて小さくてガリガリでみすぼらしくて、いつも同僚から馬鹿にされてるんだけど、怖くて何も言い返せない。家族もお金も何もない。いじめられっ子だね。いじめられっ子の40歳。そう、40歳。救いようのないしょぼしょぼなおじさん。道歩いていて、子供たちが犬をいじめているのを見つけたから、勇気出して「お、おい何やってんだ」って注意したら、「うっせーくそじじい」って言われるくらいの弱々のおじさん。

そんなおじさんは文中でも名前は表記されてなくて、ただ「五位」とだけ書かれているんだ。五位っていうのは役人の位のことで、一番低い位ですよってことね。

そんな毎日冷たい目を向けられてるしょうもないおじさんが、何でここまで生きてこられたかって言うと、一つの願望があったからなんだよ。それは「芋粥をお腹いっぱい食べたい」という願望。芋粥と言うのは、おかゆにさつま芋が入ってる甘い食べ物。当時甘いものって貴重だったから芋粥も高級品だったんだよね。その高級品である芋粥を腹いっぱいに食べられたらなんて幸せ何だろうなって思い浮かべてずっと生きてきたの。

五位のおじさんは芋粥を食べたことはあったんだけど、それは仕えている藤原氏にお客さんがきたときに振舞われていた芋粥の、残りを一口だけ喉を潤すくらいに食べただけなんだよね。その美味しさが忘れられなくて、いつか腹いっぱいに芋粥を食べたいなって心の中で願い続けていたの。芋粥を腹いっぱいに食うこと、それが生きる希望で、いつも同僚に馬鹿にされても頑張ってこれた心のよりどころだったんだよね。

 

もうお腹いっぱいだ、これ食べていいよ。うん。あでも苺は食べるわ。はい。

 

まあそんな願望をずっと持っていたある日に、仕えている藤原氏にまたお客さんがきて、宴会で芋粥が振舞われて、その残りを食べる機会があったんだよ。その時もほんの少ししか食べられなくて、大事そうに大事そうに食べていたら、その様子を同僚の利仁(としひと)って言う人が見るんだよね。この利仁は実際にいた武将らしくて、かなり有名だったっぽいんだよね。まあ今も名前が残っているくらいの人だから当時も非常に優秀だったんでしょうね。五位のおじさんは、舐めるように芋粥を食べて、羨ましげに器を眺めてたら、その利仁さんが、おいお前はそんなに芋粥が好きかって声をかけるんだよ。そんなに好きなら俺様が腹いっぱいに食わせてやろうって言うんだよ。五位はびっくりしちゃって、でも芋粥を食べられることに嬉しくて、恥じらいながらも誘いを受けることにするんだよね。

そして芋粥を食べに利仁に誘われて、京都から利仁の屋敷がある今の福井県のあたりまで2日かけていくんだよね。やっとこさ屋敷について、明日芋粥を食べさせてやるって言われ、その日は夜が遅かったから寝ることにしたんだよ。そしたらよく分からない不安が五位に襲ってくるの。早く芋粥を食べたい、という気持ちと、朝を迎えたくない、っていう矛盾した感情。そして段々と、やっぱり食べたくない、このまま願望を叶えてしまってはだめだ、っていう思いが強くなっていくんだよ。

 

そして翌日、ついに五位は芋粥を振舞われることになるんだよ。屋敷のお手伝いさんが大きな鍋で芋粥を作ってくれて、五位の目の前に用意してくれたんだよね。そしてついに五位は芋粥を食べようとするんだけど、いざ口に運ぼうとすると、一口二口食べただけで、お腹がいっぱいになっちゃうんだよね。I'm full. まだまだお腹に余裕があるはずなのに、すぐに食べる気が失せちゃうんだよ。あんなに願っていたことなのに全然箸が進まない。そして食べるのをやめてしまう。

食べるのをやめてしまった五位は、幸福感に満たされず、逆にずっと願望として五位を支えていたものがなくなってしまって、空虚感が出てきてしまう。ついには、芋粥を腹いっぱいに食べたいと思っていたあの頃に戻りたいって思う。芋粥を実現させてしまった今と、憧れていた昔を比較すると昔の方が幸福だったなって。五位が昔を懐かしんで、お話は終わり。

 

芥川の人間性をリアルに描く力が伝わるよね。すごいよね。皆が知ってる羅生門もそうだけど、芥川の作品の面白さは、こういう人間の繊細な感覚を綺麗に表現する点だよね。他の作品、例えば『鼻』とかもすごい面白いからぜひ読んでみてよ。

 

最初に言ったけど、この作品のテーマは「願望」。人間誰しも多かれ少なかれ願望を持っているけど、それって何のためにあるんだろうって考えさせられる作品だよね。願望は叶えるために意味があるのか、持っていることに意味があるのか。

五位は願望が叶ったことで活力を失ってしまう。もし五位の感覚を認めてしまったら、僕ら人間は何のために生きているのかわからなくなるよね。ずっと憧れ続ける人生が本当は幸福なのか?でもそんな人生いやだよね。願望とは何なのか。人間はこの願望に対してどういう接し方をして生きていくべきなのか。

 

この話聞いてさ、なんかリンクすることない?少し前に同じような話聞いてない?前、僕が話した三島由紀夫金閣寺。覚えてる?金閣寺芋粥、全然違うことを書いてあるんだけど、少しリンクしてるよね。あれも自分が頭で描いていた金閣寺と実際の金閣寺に乖離があってそれに悩む話だよね。『芋粥』は願望が実現してしまったことに対する落胆で、『金閣寺』は願望が現実と異なることに対する落胆という違いはあるんだけどね。凄いよね、同じようなこと書いてる。こうやって、異なる作品をつなぎ合わせることも、文学の楽しみ方の一つなんだよね。色々作品読んでると、人間の悩みとか核心には共通するものがあるんだなって、人間を好きになってくるよね 。

まあ、頭いい人に言わせれば芋粥金閣寺、全く違うよって感じかもしれないけど、まあ単純に考えちゃっていいんだよ。

 

それと同時にね、きっと「俺はこいつとは違うぜ」って鼻息荒くする人もいると思う。もちろんこの本を読んで、自分は常に高い目標を掲げて、目標を達成してもまた新しく目標を立ててアグレッシブに生きていきたい、って思う人もいると思うんだよね。こう思うのは勝手で何も間違えていなんだ。個人の勝手なんだけど、この芋粥をそんなちゃちな自己啓発本として捉えるのは、違うのかなって思うんだよね。芥川としては、こういう人間をどうしようもないって否定している訳ではないんだよね。多くの人がこの五位と同じような感覚を実際は持っていて、そこに気付きつつも皆は気づかないふりをしてるんだよね。週末が楽しみって言いつつも、本当は金曜日が一番ウキウキしていたり。旅行に行くまでの準備の方が楽しかったり。多くの人が心の底で気づいているけど、無視している感覚を、芥川という天才が見事にすくって表現している。作家ってすごいよね。

 

まあ君がこれを読んでどう思うか分からないけど、是非今度感想教えてよ。」